講談国の人びと

講談研究家・吉沢英明氏のブログです。
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講談国の人びと(30) -「むらさき丹次」など-

   
 今でも盛んに読まれている「は組小町」の作者・小泉長三は多くの書き講談を残した。最近骨董市で求めた「キング」第七巻第一号(昭和六年一月)にも、その「むらさき丹次」(短編講談)が掲載されている。粗筋は次の通りだ。
 雪の浅草田圃、泥酔の浪人が三河島辺りから来た百姓に乱暴狼藉、突き当って下駄の鼻緒を切ったという。吹雪の向い風、饅頭笠を傾けての急ぎで前が見えなかったのである。浪人は刀の柄に手を掛ける…。そこへ(下谷坂本)三河屋と書いてある番傘をさした丁稚小僧が現れた。使い先きであろう十二、三歳の少年で −小父さん、堪忍しておやんなさい− 。浪人は −小僧、汝がこの親爺に成代って詫びるなら、この下駄の緒を直せ、すれば勘弁してとらせるー 。百姓は遁走。小僧は小鬢(こびん)の毛を掴むと、ウンと力を入れベリベリと引抜き、血だらけの毛を出して −小父さん、これですげると大丈夫だよ−。にやりと血まみれの顔で笑った凄さ。浪人は酔いも醒め、逃げるようにして立去った。
 それから二十年経過。寛文年間、江戸で評判の侠客・丹次は右の小鬢に紫色のアザがあるのでむらさき丹次と呼ばれる。益々売り出す。或る日、一層零落した彼の悪浪人が何も知らず物乞いに来た。浪人は事情を知って大驚 −あ、それでは、あの時の小僧は、− 。以後改心、丹次の子分になったという。
 講談には小物(こもの)が体を張って年長者を諫めるとする話が多く 一心太助(皿を全て砕いて御意見)、鈴木久三郎(鯉の御意見)等は広く知られている。また大久保彦左衛門(将棋の− 、木村の梅)や曽呂利新左衛門(柿の− )にもある。
 一般に書き講談、大衆文学と呼ばれるモノには講談からの影響が多く、長三も従来の演題を念頭に入れて創作したものであろう。因みに本号(七の一号)には 噫無情(外国講談と角書。−狼の如く猛く、狐の如く執念深い鬼警視ジャンベルの率いる警官隊に包囲されましたジャン・バルジャン、足手絡ひの八歳の少女コゼットを伴いまして、絶壁のやうな高い練塀を乗越えてプテといふ女の修道院の裏庭に逃げ込みました− 。二代山陽が得意にし、その一門が継承している)=天狗太郎、関口弥太郎(武勇講談)=大河内翠山、日本一の果報者(日本一小説)=坂東太郎、徳川家康(偉人小説)=菊池寛、黄金仮面(探偵小説)=江戸川乱歩 等が併載されている。この内太郎作品は明らかに「本間の革財布」の二番煎じ、寛の家康の内前半は「鈴木久三郎鯉の御意見」からの借用に過ぎない。芥川賞、直木賞の創設者である大センセイにして斯くの通り、他は推して知るべしである。講談師は偉大なり。筆者の日頃敬愛する神田松鯉師の如きは日本ペンクラブの会員で、俳句の選者も務める。またその講演を国の機関がセッセと録音しているではないか。兎にも角にも偉い、先生なのだ!再び絶叫、講談師は下駄取って呉れのセンセイではない、尊重せよ、もっとエライのだ…(だから売れぬのだという陰の声あり)

  (図版説明) 上は「むらさき丹次」の挿絵(石井滴水)で丹次と浪人、先方に消え行く百姓。下は「徳川家康」の挿絵(小山栄達)。久三郎は斬られる覚悟で家康に御意見。家康は −鈴木もう下(さが)ってよいぞ、鳥を捕った者も濠(ほり)へ網を入れた者も、軽きに依って、処置するから安心せよ− 。

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