講談国の人びと

講談研究家・吉沢英明氏のブログです。
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講談国の人びと(31) -大島伯鶴の写真-



 故神田山陽に絶大な影響を与えた一人が二代目大島伯鶴(明治12〜昭和21)である。
 この写真の会場は不明であるが、地方の公会堂の類と推測、昭和も戦前期で今となっては珍しい「資料」と考える。壇上中央にマイクを前にして伯鶴得意のポーズ。ダブルと蝶ネクタイで胸に大きな徽章、これは特別出演の証しである。背に金屏風を回し、その後ろにはドでかい日の丸。壇上左に松の盆栽…、これは現今の浪曲大会等でもよく見られる趣向である。そして右端の幟(めくりにしては大き過ぎる)に 講談 義士外伝・天野屋利兵衛 大島伯鶴 と墨書してある。聴衆は写真で見る限り全て和服、然もご婦人が多い。何かの式典の余興として伯鶴が呼ばれたのであろう。この人の父は名人伯円の弟子で初代伯鶴。日清、日露戦役を読む際物講談師、従軍講談師としての知られた。伜の二代目は独特のギャグ(例えば「寛永三馬術」の曲垣平九郎。愛宕山の山頂に到達すると、歓声が太平洋を越え遠くアメリカ迄達した…)で大衆に愛され、色物席やラジオで人気があった。相撲講談も得意で国技館は木戸御免という塩梅である。
 さて故山陽は度々この人から教えを受けたと、「桂馬の高跳び」は当然として「講談研究」所収『私の履歴書』にはっきり書いている。例えば松林伯鶴(後に初代大島伯鶴)の「女天一坊爆裂お玉」→二代伯鶴→故山陽→一門という形で現在も立派に生きている。「笹野権三郎」の内海賊退治も神田紅等が面白く演じているが、まさに伝統芸、100年前の芸、を現前に見るが如くである。

(追記) 
「越の海勇蔵」(力士伝。背の低い勇蔵は頭髪=さかやき=の頭で谷風のヘソの下をコチョコチョ…)は元来暗い話で二代目伯鶴が面白くした。この滑稽譚を山陽が学んだという(現神田照山の証言)。筆者は昭和40年代の本牧亭で背広姿の二代目痴遊や邑井操を聴いている。照山によると故山陽も背広姿で演じたことがあるという。周知の通り、先代馬琴のギャグはこの伯鶴に拠る所が多い。

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